『世話好き』と『おせっかい』の境界線は、どこにあるのでしょうね。
求められていないのに、必要とされていないのに、他人のことに立ち入ったとき、
『世話好き』という称号を超えて、『おせっかい』と呼ばれます。
そして、他人のライフスタイルや言動などが気になって
ちょっと何か言ってやりたいとイライラしてしまうのは、
要らぬお節介・余計なお世話モードに、なってしまってるのかもしれません。
生まれついてのお節介、あるいは、
ヒマを持て余して他人のことが気になり、口を出してしまうお節介。
どちらにせよ、他人への関心が過ぎると、
どうしても『余計な口出し・アドバイス』をしてしまいがちです。
訊かれてないのに、頼まれてもいないのに、
他人の生活や人生に口をはさむのは、余計なお世話でしかありません。
たいていの人は、他人に指図なんてされたくないものです。
求められてもいない助言や忠告に意見。
それらが行き過ぎると、間違いなく嫌われます。
◆おせっかいが嫌われるワケ
お節介が嫌われるのは、大きく2つの理由が考えられます。
一つは、他人をコントロールしようとする、から。
全てがそうとは言いませんが、とかくお節介な言動は、
他人を自分の思い通りに動かしたい、という気持ちのあらわれです。
お節介の受け手側にはその意図が透けて見えているから、
ウンザリされたり嫌がられるのです。
もう一つは、当事者でないのにでしゃばる、から。
どんなことも当事者でない限り、その状況の本当のところは分かりません。
でも、お節介な人は、自分に見えている部分だけで人や物事を判断し、
分かった気になって、自分の思い込みでしかない意見を押し付けようとします。
◆おせっかいをやめるには?
お節介は『性格』だから治らないと開き直る人がいますが、
『性格』は修正もできますし、変えることも可能です。
でもそもそもお節介は、性格を変えるというよりも、
単に「やめる」と決意することで、やめられます。
おせっかいを止めるには、
✔「他人と自分は、違う人間であると認識する」ことからです。
人の好みも価値観も、十人居れば十通りです。
自分が好きな物事が、相手も好きだとは限りません。
自分が良いと思うことを、相手はそうは思わないかもしれないのです。
人は皆、違っているのが当たり前だという意識でいれば、
自分の意見を押し付けて相手をコントロールしようとする気持ちも
抑えられるでしょう。
✔「自分に直接関係があるか考えてみる」
誰かの言動にイラつくとき、何かひとこと言いたく(忠告したく)なるとき、
それは自分に直接関係があったり、影響を受けるのかどうかと
考えてみることです。
隣の家のご主人が、仕事を辞めたり転職したのが気に入らないという人がいます。
自分の夫でもないのに、何か自分に影響があるのでしょうか?
レストランの隣席の客が、パスタに大量のタバスコを振りかけているのが
気に入らない人もいます。
自分が食べるのでもないのに。
✔「相手の様子に注目する」
要らぬおせっかいをしている時は、大抵の場合は相手から
「余計なお世話です」というシグナルが発せられています。
口に出して「放っておいてください」と言われなくても、
相手の視線や表情、態度を注意深く見ていれば気づけるはずです。
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自分は良かれと思ってやっても、相手には喜ばれるどころか
鬱陶しがられ、嫌がられ、余計なお世話と罵られるのがお節介です。
それならば、他人のことに首を突っ込んで自分の時間や労力を無駄にするよりも、
自分自身の人生に意識を集中するほうがよっぽど有益です。
世の中で一番大切な自分のために、その人生を充実させるべく自分にフォーカスすること。
他人に要らぬお節介を焼いてられるほど、人生の残りは長くないかもしれません。
今日もお読みくださいましてありがとうございました。