「正論」は、正しい論と書くぐらいだから、
とっても正しい意見なのでしょう。
でも言うべき時や場所を間違えると、
それを言う人は嫌われます。
例えば過日、知人数人とおしゃべりしていた時のこと。
一人(Aさん)がこんな話を始めました。
Aさんは、ブティックを経営しておられるのですが、この一年ほど、
ちょっと困ったお客さんに「取りつかれてる」と言うのです。
そのお客さんというのが、やたらと「お取り置き」を頼んでくるそう。
そして、取り置きを依頼しておきながら、
期限内(Aさんのお店では一週間)にはまず連絡も来店も無し。
そういうことが複数回、繰り返されているそうです。
お店としてはそんな客は当然ありがたいわけがなく、
「だけど出入り禁止にするわけにもいかないし、困ってる」
というお話しでした。
すると同席していた中の一人(Bさん)が、
「商売をやるっていうことは、そういうリスクは当然じゃないの?」
と冷ややかに言い放ったのです。
一瞬シーンって感じでしたが、Aさんが
「そう言われればそうだけど、今までそんなお客さんはいなかったし...」
と言いかけると、
Bさんは更に、
「それは単にラッキーだっただけで、お店をするということは
どんな客も受け入れるってことでしょ。
それが嫌ならお商売しなければいいやん」
と畳みかけて、
その場の全員を黙らせてしまったのでした(゚Д゚;)
Bさんの言うことは「御尤も」です。
お店をやっていなければ、迷惑なお客と遭遇することもなく、
それに関わる悩みを抱えることもありませんから。
でも、そんな「正論」は、誰も求めていないんです。
Aさんが期待していたのはたぶん、
「それは困ったねぇ」といった同調だったり、
何か有効な対応策のアイデアだったはず。
そして、Bさんの言い放った「正論」は、
ある意味では正しくはあっても、なんの解決にもならず、
ただその場の雰囲気を悪くしただけでした。
風邪をひいて体調が悪いと訴える人に
「自己管理がなってない」と突き放したり、
「彼と別れようかな...」と悩む人に
「そう思うならさっさと別れれば?」と切り捨てたり...。
誰かのちょっとした愚痴や悩みの吐露に対して、
身も蓋もない「正論」を返す人は、
まず好かれることはありません。
なぜならそこには、人としての情がないから(。・ω・。)ノ♡
ということは💡
嫌われたかったら、或いは、
相手の愚痴をこれ以上聞きたくない、といった場合には、
シラけた口調で「正論」で応答してみたら
効果抜群かもしれないな??!(ΦωΦ)
なんて悪知恵を思いついた、師走の昼下がりでした。
今回も最後までお読みくださいましてありがとうございました。