週末職人

気持ち美人に生きる知恵とお作法、英語学習と時々、DIY製作記録。

イライラするのは自分のせい

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多少の例外はあっても、日本人は穏やかでおとなしい国民性だと言われていますし、私自身もそう思っているのですが、先日とある駅で、駅の係員に何事か大声で怒鳴り散らしてるサラリーマン風のオジサマを見かけて、その認識を改めようかと思ってしまいました。別に電車が遅れたわけでもなし、朝っぱらから顔を真っ赤にしてまで何をそんなに怒ることがあるのかと、興味津々でした。怒っている人を端から眺めていると、自分自身が妙に冷静になるというか、”人の振り見て我が振り直せ”ではありませんが、「イラっとするのやめよ」「怒ってるってカッコ悪い」と、ちょっと目が覚めるような気分にもなります。

          イライラするのは自分のせい

毎朝、満員の通勤電車に乗っていたころは、事故や故障で電車が途中で止まることも少なくなく、そのたびにイライラして朝から疲れていたものでした。でもある時に、「なるほど!」と電球にパッと灯りがともるみたいな気づきを貰ってから、目の前で起こっている出来事や人に対してイライラすることが相当減りました。減っただけで、無くなってないのは、まあ、修行が足りないところですが。

その気づきというのは、イライラする出来事が起こっている、イライラさせる人がいる、のではなく、自分が勝手にイライラしているだけ、というものです。
例えば通勤電車が途中で止まってしまった場合。電車が止まったという事実があるだけで、それに対して自分はどう感じるか・反応するかという「選択」は、自分でできるのです。「イライラする」という選択もできるし、「仕方ないな。のんびり待と~」と腹を立てない選択もできるわけです。
人が相手の場合もそう。何度教えても同じ失敗を繰り返す人がいたとして、その人にイライラするもしないも、自分自身が決められるということなのです。

          イライラするのは自分のせい

ストレスを感じるからイライラするのか、イライラするからストレスを感じるのか、その辺はもうどっちがどっちなんてわかりませんけれど、とにかく「イライラすることも、しないことも、自分で選べる」ということです。このことを、ある時に年上の友人に教えてもらってから、私自身はイライラする頻度が極度に少なくなり、以来、相当穏やかに物事をやり過ごせるようになりました。

ある出来事が起こっているとき、それに対して自分自身がなんの感情も抱かなかったら、なんの反応もしなかったら、それは単なる出来事のまま過ぎていきます。自分の目の前で起こっている出来事に、怒ったり悔しがったり喜んだり嬉しがったりという「意味付け」をするのは、自分自身に他ならないってことですね。

お天気一つとっても、例えば朝の通勤時に大雨が降っていたら、「げ~!サイアクッ」と思うのも、「新しい”長靴”(レインブーツですね)履いていくチャンス♪」と考えるのも、自分の自由選択なわけです。コンビニなどのレジで、店員さんが些細なミスをしたときに、大声だして怒ったりネチネチとやりこめたりする人もいれば、「気にしないで」と優しい言葉すらかけてゴキゲンな様子でお店を出る人もいます。「店員のミス」という出来事に、イラっとしてしまうか、別に気にならないと思うか、反応の仕方は全部自分で決められるのです。

もちろん怒るべき時は怒って大いに結構ですし、ガマンする必要はないと思います。ただ、何事に対しても、「どう反応するかは自分で決められる」と気づいておけば、少々のことにはイライラせずに過ごせるようになりますよ、ということです。

          イライラするのは自分のせい

イライラすると、さらにイライラすることが起こりやすくなりますよね。それに、「人の振り見て」思うのは、些細なことに怒ったりイラついたりする人は、普段から幸せじゃないんだろうなということ。満ち足りて余裕がある人は、多少のことでは怒ったり不機嫌になったりしないのでは?

イライラしたり怒ったりすると、それがまたストレスになります。ストレスがたまると、さらにまた些細な事柄にイライラして…、の繰り返し。その負のスパイラルから、一瞬で抜け出そうと思うなら、自分は「イライラさせられてる」んじゃなくて、「(勝手に)イライラしている」んだと認識することです。

いつかは、どんな出来事にも人にもイライラしない、寛容な大人になりたいものです。

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