週末職人

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「お日柄が良い」って何? 迷信と縁起担ぎ。

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「結婚式は絶対大安の日じゃないと」とか、「葬儀は友引の日はダメ」と、『お日柄』を気にする人が今でも少なくないですよね。でも、この日は良いとか悪いとか、いったい誰が何を根拠に決めてるのかと、疑問に思ったことはありませんか? 

私が『お日柄』を疑問に感じたのは、大学受験の時でした。たまたま遊びに来ていた遠い親戚と会話する中で、私の第一志望校の受験日が『仏滅』だとカレンダーを見て気づいたようで、「アラ~ッ。仏滅やン!かわいそうに~」みたいな発言をしたのです。それまで『お日柄』なんて考えたことも、気にしたこともなかったのに、受験を控えてピリピリしていた神経に、「仏滅やン。かわいそう」が思いっきり触って、猛烈にムカついたことを今でもはっきり覚えています。腹が立ったのは、受験生に向かってそういうデリカシーのないことを平然と言うそのヒトにはもちろんですが、仏滅・大安というものなど信じていたはずはないのに、いつのまにか「刷り込み」されたものだとしても、それにとらわれて嫌な気分になってしまった自分にも、です。

           「お日柄が良い」って何?

そもそも『六曜』は、日本では鎌倉・室町時代あたりに始まった、誰が言い出したのかも定かでない、完全なる迷信です。一週間が「月・火・水・木・金・土・日」と順に並んでいるのと同様に、その日の暦注を表した六曜は、「先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口」の順番に、機械的にローテーションを繰り返しているだけです。迷信であるとして明治時代には政府が一切禁止にした期間もあったようです。そして近年も、根拠のない迷信として無用な混乱を避けるために、公共機関が作成するカレンダーでは掲載しないようになってきているそうです。そういえば、公共機関のものではありませんが、我が家にいくつかある今年のカレンダーにも、どこにも六曜の記載がありません。

カレンダーに表示されなくなったとしても、『お日柄』を気にして行事ごとをきめる風習がすぐになくなるわけではありませんが、意味もない事柄にとらわれて、自由に身動きがとれなくなるとしたら、それこそ意味がありません

世界中のどこにいても、誰にでも、等しく訪れる毎日に、縁起が良いとか悪いとか、吉凶なんてあるわけないのです。

          「お日柄が良い」って何? 迷信と縁起担ぎ。

六曜は、なんの根拠もないのになぜか多くの(日本)人が無条件に信じている迷信の代表みたいなものですが、もっと些細な迷信やジンクスみたいなものって数えきれないほどたくさんありますね。

茶柱が立ったら良いことがある」、などというのもその一種。最近は、茶柱がお湯のみに入り込むような大らかな急須自体がなくなってるような気もしますが、子供の頃は、淹れてもらったお茶に茶柱が立っていたら、なんとなく嬉しい気持ちになったものです。「新しい靴を履くときは、左足から履くと良いことがある」という縁起担ぎを、子供のころから固く信じて実行している友人もいます。あるいは、「黒猫が自分の目の前を横切ったら不吉」とかいうものを信じている人も。でも私は別の人から「黒猫が自分の前を横切ったら良いことがある」と聞いたことがありますし、結局、迷信や縁起なんて「その程度のもの」なのでしょう。

大切なのは、自分がどれを受け入れるか受け入れないか、どれを信じるか信じないかです。だけど少なくとも、何の根拠もなく言われている迷信のたぐいは、自分に都合の良いことや気分が良くなることだけ信じておいて、悪いことは無視でよいのす。他人が作ったネガティブな迷信を、鵜呑みにすることほどバカバカしいことはありません。

そして、どこの誰がどんな根拠で言い出したのかも分からないネガティブな迷信でも、どうしても気になるなら、自分自身で都合の良い内容にどんどん書き換えていけばいいのです。誰が言い出したのかわからないのが迷信なのですから、次に迷信を生み出すその『誰か』が、自分であってもいいわけです。「黒猫を見かけたら近々お金が入ってくる」とか「食器が割れたら厄落とし完了。運気上昇のサイン」など、自分の気分が良くなるように。黒猫や割れた食器が、ラッキーな印なのかアンラッキーなサインなのか、誰も証明することはできないのですから、自分に都合良く意味付けすればいいのです。

「そんなことをして何になるの?」と言われるかもしれませんが、少なくとも、起こった物事にポジティブさを見出すことで、不吉なサインととらえて怯えて過ごす人よりも、はるかに軽やかで楽しい毎日を送れます。

 

今日もお読みくださいましてありがとうございました。

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