今年のお正月に届いた年賀状の中に、
「運が良くなるよう今年はたくさん良いことをします」
と書かれたものがありました。
高校時代の友人からだったのですが、
今ではもう年賀状以外の交流がないため、この友人に何があったのか、
どういう意図でこのメッセージを書いてきたのかは不明です。
けれども、運気を上げるためでも何の為であっても、
良いことをするというのは素晴らしいこと。
いわゆる「徳を積む」ということですね。
日本には、「陰徳あれば必ず陽報あり」という、ことわざがあります。
国語辞典で調べると、
「人知れず善行に励めば、必ず良い報いがある」
という意味だと説明されています。
善行とは、寄付やボランティア活動、もっと簡単なところでは
電車やバスで席を譲ったり、掃除をする等といった行いが思い浮かびますが、
いくらこの善行を積んでも結果がでない、つまり、
求めているところの「見返り」が得られないという人が、少なからずいます。
見返りが得られない理由はシンプルで、要するに、やり方が正しくないということ。
では正しいやり方とはどういうものかというと、善行の「動機」がポイントなのです。
同じ善い行いをしていても、動機次第では陰徳にならないのです。
陰徳にならない動機とは、
「良いことが返ってくるから、掃除しよう」
「良いことが返ってくるから、人助けしよう」といった感じで、
自分の利益を考えてしまうこと。
そこで、どうすれば良いのかというと、
「自分磨き」を動機にして善いことを行うのです。
「自分磨き」なんて使い古された雑誌の見出しみたいですが、
自分自身の精神的な成長や能力向上を目指す「self-improvement」と考えて
善行をするのです。
見返りを求めたり、自己顕示などのよこしまな気持ちではなく、
「自分の精神鍛錬のために、掃除のボランティアをする」
「自分の人格を磨くために、黙って寄付をする」
といったように、自分磨き self-improvementを動機にした善行は、陰徳になるのです。
「陰徳あれば必ず陽報あり」「陰徳陽報」とは、もともと儒教の流れにある教えです。
そして儒教の言う「徳」とは、
「規律正しく立派に生きることで養われる後天的な精神」のこと。
つまり、「経験や教育、訓練によって得られる善因」であるということです。
それを「人に知られず密かに積みなさい」ということなので、陰徳とはつまり、
見返りを期待して善いことを行うのではなく、
「自己鍛錬の為に、見返りを求めず善いことを行う」という姿勢のことなのです。
ところで、運を向上させたいとか、良いことが起こるように、などと見返りを期待する
あまり、ガマンしたり嫌々ながら善いことをしても「陰徳」以前に全く何の意味もあり
ません。
それどころか、嫌々やっているというマイナス心理の波長が、さらにマイナスの状況を
引き寄せることになりかねません。
いくら世の中や他人に善い施しを行っても、しぶしぶだったり、自分が我慢をしている
状態では、自らが発しているのはネガティブな波長です。
そしてそのネガティブな波長が引き寄せるのは、やっぱり不本意な状況。
我慢が我慢を引き寄せてしまうことになるのです。
正しい動機と良い気分を抱きながら、陰徳を積み重ねていくことで、
簡単に運が良くなり、幸せを引き寄せることができます。