聞いていてあまり、というか、ハッキリ言って全然楽しくないのが
他人の自慢話です。
楽しくないどころか、苦痛ですらあったりします。
栄光浴って?「スゴイ人を知っている」自慢にはコレで対処。 - 週末職人
一方で、蜜の味がするらしいのが、他人の失敗や不幸話。
「ひとの不幸は蜜の味」のフレーズを聞くたびに、わたしは
ほぼ反射的とも言える感じで、思い出す人の顔があります。
それは大学生の頃、わたしが付き合っていたボーイフレンドと
別れたという話をした時の、友人(当時)の顔。
「え! ホンマ?! なんでなんで? 何があったン♪」、と
驚きと親身さを装いながらも、こらえきれない愉快さ(?)に
顔がほころぶのがどうしても抑えられない、といった様子で、
口元をモゴモゴさせ、ニヤニヤ顔になってしまってました。
◇自分を再認識する自慢
さて、聞かされる立場としては、なに一つ面白くない自慢話ですが、
話すほうの立場では、喋るほどに自分に良い効果のある自慢話があります。
本を読んでもウェブの記事でも、たいてい
「自慢話をするのは愚の骨頂」「自慢話は悪印象」
となど書いてありますし、実際そうです。
学歴、人脈、仕事がデキる、モテる、お金持ち、夫・子供・孫・ペットetc.
独りよがりな自慢話は、気づけば周囲に「誰もいなくなってた」
ということにもなりかねないでしょう。
だけど例えば、パナソニック創業者の松下幸之助さんが、
「自分の運の良さ」についてのエピソードを
頻繁に話されていたことは有名ですよね。
自慢話の中でも、「自分はラッキーだった」「ツイていた」というものは、
その話をするたびに「自分は運が良い」ということを
自分自身が再認識できるわけです。
◇ふんべつを働かせつつ自慢する
失敗談や不幸な目にあった話をして
その度に「自分はツイてない」と感じるよりも、
節度をもちつつ「ツイてた自慢話」ができれば、
自分の運の良さや幸運を、あらためて信じることができるのです。
ところでそもそも、失敗談や不幸な出来事に遭遇した話なんて、
聞いてるほうも心地良くはないですよね。
自分がいかに可哀そうな目にあったか、ツイてなかったかという話を
それこそ自慢げにする人がたまにいますが、
その種の話は蜜の味どころか、毒キノコなみに不快です。
幸福も不幸も、周囲の人に伝染します。
今日もお読みくださいましてありがとうございました。
◇読むと力が湧いてくる本。元祖肉食系女子というのか、大正から平成にかけて、小説家・デザイナー・実業家等々で大活躍した宇野千代さんの自伝的エッセイです。