今回は、書道教室を開いている知人から聞いたお話。
彼女の教室では、お稽古にやってきた人(大人も子供も)は皆、
教室に入る前に必ず「(先生に)挨拶をする」
というルールを設けているそうです。
挨拶なんて、ルールとかいう以前に誰でも普通するでしょ?
と思うのですが、しない人も決して少なくないのだそう。
だから彼女は、教室に受講申し込みに来た人には
「こういう理由で、こんな規則を作っています」と説明して、
事前に了承してもらってから生徒になってもらうそうです。
ちなみに挨拶ってごく普通のアレです。
「おはようございます」とか、「こんにちは」という...。
まあさすがに大人の生徒さんは、
全員がちゃんとご挨拶されるそうです。
子供のほうは、最初のうちは恥ずかしがって
口が重かったりする子もいるようですが、
何度か通ってくるうちに、そして
彼女(先生)からしっかり挨拶の声をかけ続けるうちに、
大抵はちゃんと自分から挨拶できるようになるそう。
それでも中にはかたくなに、
絶対挨拶しない子もいるのだとか。笑
なんども彼女(先生)から声をかけて
やっと小声で返してくる子や、
一緒についてきた(送ってきた)母親などに
しつこく促されてしぶしぶ挨拶する子。
ときには「挨拶ハードル」をクリアせず、
黙って無理やり教室に入り込もうとする子なども
いるそうで。。。
或いは、一緒についてきた保護者自身も挨拶をせずに、
子供を教室に押し込もうとする、
ということなどもあったとか。
でもいかなる時でも彼女は、生徒が挨拶をするまでは
絶対教室の中に入れないそうです。
通りすがりの第三者から見れば、
すごく些細でつまらない攻防かもしれません。
彼女のほうが、偏屈で意固地だと
思われることもあったみたい。
それに、挨拶をしない人に敢えてそれを求めることは
彼女自身もストレスを感じることと思います。
けれど、人にものを教える立場でもあり、
「人に挨拶をするというのは、
キレイな文字を書くこと以上に
良識ある人間として大事なことだから」
というポリシーで、絶対譲らないことにしてるのだとか。
できるだけ年齢が若い(子供)のうちから、
顔を見知ってる相手などには
ごく自然に挨拶をできるようにしておかないと、
学年が上がったり大人になるにつれて
ますます「挨拶をする」ことに対するハードルが上がる
と言います。
彼女には、
縁あって自分の教室に通ってくれた生徒が
どこかで誰かに、
「挨拶のできない子」なんて評されたらイヤだわ、
という思いがあるのだそう。
(私ならそこまで他人を思いやれませんから教師にはなりませんw)
さて、
「挨拶ができない子だと思われる」のくだりを聞いて
ふと思い出したのが、
別の知人女性から聞いたお話でした。
彼女の家のご近所に、夫婦と小学生の子供3人
というご家族が住んでいるそうですが
そこの子供たちが、みごとに誰一人、
一切挨拶をしないのだそう。
こちらから「おはよう」なんて声をかけても、
完全無視、または気づかないフリ。
最初は、子供だから仕方ないか、とも思ってたそうですが
あまりに鮮やかに無視・知らん顔されるので、
子供相手ながらだんだん腹が立ってきたそう。
だから最近はもう声をかけるのを完全に止めたのだとか。
ただ、その子たちの母親は、ごく普通に挨拶もすれば、
ちょっとした雑談に自ら声もかけてくる人。
なのに、なんで子供に挨拶を教えないんだろう、
ってモヤモヤと思っていたそう。
するとある時気づいたのが、
子供たちの父親が全く挨拶をしない人だということ。
誰が声をかけても、
当然彼女が「おはようございます」なんて挨拶しても
”返し”なし。
ただよく見てると、首をカクンと曲げるような
しぐさをしているようでもあり、
もしかしたら無言で会釈をしてるのかもしれないともw
でも、とにかく声に出して挨拶を交わすということが、
10年近くご近所に住みながら一度もないのだとか。
今ではもう「そういう人」と認識して、
相手から挨拶が返ってくるのを期待することもなくなった
と言っています。
ただ父親のほうはともかく、残念なのは
「あの家の子供は挨拶ができない」として、
彼女のみならず、他のご近所さんたちも
3人の子供たちをみなしているということ。
たとえ本人たちに面と向かって誰も何も言わなくても、
そして、彼ら自身が他人からそんなふうに
思われていることに全く気づかなくても、
或いは、他人にどう見られ思われようと
知ったことじゃないと考えていたとしても...。
子供が他の大人からそんなふうに認識され、
「挨拶ができない子」などというレッテルを
陰でコッソリ貼られてること自体、
なんだかすごく良くないことのように感じてしまいます。
まあ、まだ小学生とのことなので、この先いくらでも
「近所のオバサンを見かけたら
「おはよう」「こんにちは」を言う」
という学習をするチャンスはあるでしょうが。
すでに成人して久しいだろう父親のほうはいざ知らず...。
挨拶って当たり前すぎて、
ちゃんとできる人には息をするようなものであり
特に深く考えることもないような事柄ですけれど、
まともに挨拶もできない人に遭遇すると、
「挨拶ができる人であること」って実はすごく
真っ当で立派なことなのかも、と思い知らされます。
そして長話ついでに。
昔むかし、アメリカのホテルでのこと。
館内のエレベーターに誰かと乗り合わせたら、
必ず相手から「Hello」とか「Hi」と
声をかけられることに気づきました。
それでアメリカ人の友人に
「アメリカ人ってエレベーターで
見知らぬ他人と乗り合わせても
ハローって声をかけるの、
フレンドリーでエライね」
みたいなことを言ったら、
「そんなこと深く考えたことなかったけど、
もし挨拶がなかったら
”不審人物かも”って思うし、思われる」
というようなことを教えてくれました。
当時は「ナルホドー。そういう国なのかー」
って思っただけでしたけど、
挨拶をしない人物には色んな意味で警戒心を抱いてしまう、
という心理が今ではよくわかります。
今回もダラダラ長文になりましたが、
要は「挨拶することってすごく大事」という
単純なことを書きたかったのでしたw。
何かのはずみ(?)で犯罪を犯してしまったとき、
マスコミが、犯人の生活ぶりや人柄について
近隣住人に聞き込み行ったりしてますね。
そのとき、
「いつもちゃんと挨拶してくれる人やったけどねぇ」
って言われるのと、
「いつ見かけても、挨拶ひとつしない人でしたわ」
と言われるのでは、
犯人に対する印象も多少は違ってきます。
もっとも、挨拶できても出来なくても、
犯罪を犯してしまったら、どうしたってNGなんですけど。
ただ、普段の何気ない挨拶ひとつで
ひとの印象というものは、
簡単に即効性をもって良くも悪くもなるものです。
長話にお付き合いくださり、
最後までお読みくださいましてありがとうございました。