世の中には、人や物ごとの長所によく目がいく人もいれば、粗探しが得意というのか、いちいち欠点を見つけて悪口を言ったり、なにかとケチばかりつける人がいます。
「あの子、顔はキレイだけどスタイル悪いよね」
「あの人が持ってくる差し入れって、いつもセンスないわ」
「このホテルのラウンジ、インテリアはまあまあ良いけど接客は素人な感じ」
この3つのフレーズは全て私が実際に耳にしたものですが、こんな感じの会話って、特に女性同士なら、たいして気にもせずに日常的にしていそうですよね。
でも、こうやって文字に起こして改めて見てみると、毒があります...。
ほんのたまに憎まれ口を言うくらいなら、会話のスパイスになるかもしれませんが、いつもいつも何でもけなしたりケチをつける人の話は、聞いていて気分は良くないし、疲れてしまいます。
ケチばかりつける人の心理としては、イライラしているからとか、嫉妬しているから等、さまざまあるようですが、たぶん一番大きいのは『プライドが満たされるような気がする』からではないでしょうか。
たとえば、先ほど例に出した「このホテルのラウンジ、インテリアはまあまあ良いけど接客は素人な感じ」という批判。
これを言ってる人の言葉の裏には、
「インテリアに精通しているワタクシ」
「洗練されたセンスを持ってるワタクシ」
「接客のプロのサービスとは、どんなものかをよく知ってるワタクシ」etc.、
という、自信のような自慢のような思いが見え隠れしています。
「ワタクシって洗練されたセンスの持ち主で、一流のサービスもよく知ってるのよ~」という感じで、その場にいる誰よりも自分が優位に立てた、立場が上になった気がするのです。
ケチをつけてる人とその場に一緒にいる人が、同じように、けなしたりケチつけタイプなら問題ないでしょうが、そうでない場合はきっと嫌な気分にさせてしまいますね。
もし一緒にいる人が、「そんなこといちいち言わなくてもいいでしょ」などと苦言を呈したりしたら、一気に険悪なムード突入ということも、あるかもしれません。
と、ここまで他人事のように、なんだかエラそうに書いてきた私自身も、会社員時代は同僚たちとのランチタイムなどに『ケチつけ話』をよくしてました。
でも、ある時に、そういう不毛な会話をすることに自己嫌悪を感じてしまい、同じ部署の仲良しの同僚に「一日だけ、けなしたりケチをつける話をやめよう」と提案したのです。
急に、良い子ちゃんになろう!、と閃いたわけではありませんよ。
ちょうどその時読んでいた『沈黙入門』という本にあった文章に、「わたしのこと?!」と衝撃を受けたからです。
その内容は、
「他人や社会にケチをつけている人は、自分のプライドを守ろうとして、結果としては自分をチンケな人間として印象づけ、心ある人からは敬遠されることになってしまいます。」
「試しに一日だけでも、まったく何かにケチをつけずに過ごしてみることをお勧めします。」(小池龍之介著「沈黙入門」より)
というもの。
私はその本を同僚に示して「チンケな人間になりたくないから、ケチをつけるのはもうやめよう!」と言ってみたのでした。
同僚も即座に提案に乗ってくれて、「もし、悪口や批判めいたことを言ったら、相手にランチをご馳走すること」というルールをきめ、その日を第一日目として早速始めてみたのでした。
慣れないうちは、一緒にお昼ご飯を食べる時にも、言葉数が少なくなると言うのか、言葉を選ぶというのか、なんとも妙な具合でした。
でも4日目くらいになると早くも慣れてきて、それと同時に、ケチをつけるようなネタを放り込まなくても、盛り上がれる楽しい話題はいくらでもあることに気づきました。
そして、『良質』な会話は、精神衛生的にもとても良いのですね。
『ケチをつける』という些細な悪口でも、積もり積もれば心には悪影響です。
憂さ晴らしのつもりだった『ケチをつける』ことを止めたら、なんだかそれ以上に気分が良くて楽しいことになりました、という展開になったのです。
正直なところを白状すれば、楽しい話題で盛り上がってる最中にも、つい『毒』を吐いてしまったことが2度ほどありました。聞き逃すことなく、それを鋭く指摘してくれた同僚には、ちゃんとランチをご馳走しましたよ。ちなみに同僚からも同じく2回、ごちそうになりました。
意識して『ケチつけ禁止』をやったのは2か月間ほどでしたが、その間に、けなしたりケチをつけたりといった『悪癖』は、相当改善されました。
聖人君子のように、毒舌が全くなくなったわけではありませんが、そこはまあ『人間だもの(みつを)』という感じでしょうか?!
些細なことすぎるから、甘えてスルーしがちでもある『ケチつけ』ですが、積もり積もれば山となって、大切な自分の心を荒ませてしまいます。
ケチをつけることで感じる小さな憂さ晴らしや優越感よりも、それを止めてみて得られる気持ちの爽快感は、思った以上に大きいものでした。
今日もお読みくださいましてありがとうございました。